大分とのつながり
70代後半になる私の母は、生まれてすぐ祖母を無くし祖父も仕事に追われていたため、
小学校から高校途中で疎開するまで親戚の家で親とは晴れて暮らしていました。
終戦後、20歳の時に商売をしていた母の叔母(以下叔母)を手伝うために
佐賀関にやってきました。忙しい毎日でしたが、家族同様に接してくれる叔母や
叔母の家族に応えるように、母は一生懸命働きました。
7年後、縁あって私の父と結婚する際、経済的に苦しかった祖父に代わり、叔母は
花嫁道具一式をそろえて今の兵庫の地へ母を送り出してくれました。
あれから50年余り経ち、80代になった叔母が介護施設で生活するようになったと聞き、
意識のあるうちに会ってと母と共に大分を訪れたのが3年前。
母のゆかりの地であってもほとんど記憶のない頃に来たきりの私には、あちこち訪ねるうちに
美しい海や山、さらに歴史や温泉など長い時を経て育まれてきたものに魅力を感じて、
すっかりとりこになってしまいました。
大分は私たち母娘にとって心を豊かにしてくれる大切な場所となりました。